ガロ(1964-2002)について語るとき、論評の流れとして二つの主流がある印象を受ける。一方は80年代半ば頃までの漫画分析、もう一方は左翼学生運動による確かな歴史的背景の中で位置づけられた雑誌というものである。
「紙のデータベース」としてのガロは巨匠、前衛派、実験的作家などの幾人かの日本漫画の著名作家を擁するにもかかわらず、白土三平(1932-)の「カムイ伝」(1964-71)による批評の成功と大衆の人気という肩書に結び付けられる。カムイの功績は確かに長年ガロの紙面を独占し、貸本屋界や劇画界出身の他の短編や読み切り作品の余地に陰りを与えた。言うまでもなくそれらは男性であり、つげ義春(1937-)、辰巳ヨシヒロ(1935-2015)、水木しげる(1922-2015)、滝田ゆう(1933-1990)や林静一(1945-)である。にもかかわらず、すでに1965年から女性作家を同紙面に招いていた事実は忘れてはならないだろう。初登場したのは当時18歳だったつりたくにこ(1947-1985)である。
海外ではほぼ無名だったが、つりたは1965年9月号で初めの2作品(「人々の埋葬」、「神々の話」)を発表し、1981年まで同雑誌との友好関係は続いた。特に1965年から1970年の間、つりたはサイエンスフィクションや歴史、演劇のジャンルからも明らかにかけ離れた型にはまらない物語りの宇宙を創造した。さらに驚くべきは一連の物語で、その中でも「音」(1969)という作品は夢幻とシュールレアリズムの間を歩くカフカの雰囲気をこれでもか、と思い起こさせるほどであった。筆致も同様で彼女のデザインは降霊的で象徴的であり、画面構成的にも70年代半ばに向けて成熟さを極めていった。まさに漫画史研究者の斧田小が強調するように、
「個々の作品としてみた場合、つりた作品の完成度はとりたてて高いわけではない。しかしその一方で、たとえ未熟な点はあったとしても、かつて白土が「ガロ」で呼びかけたように「臆せずに画きたて」られたつりた作品には、前進しようとする明確な意志と、つりたにしかないオリジナリティがある。(…)そして残された作品は今もなおその輝きを失ってはいないのだ。」
「カムイ伝」の終了とともにガロの販売数もあきらかな下降の一途をたどるなか、読者の嗜好傾向は他雑誌や漫画などのジャンルへと向かって行った。しかしすでに1971年から独自の陰影と叙述体の作風で女性の宇宙を物語るべく新たな女たちの名前が挙がってきた。やまだ紫(1948-2009)、杉浦日向子(1958-2005)、そして近藤ようこ(1957-)は「ガロ三人娘」と称され、漫画にあらたな言語を吹き込んだ。それは包み隠さず自らを暴くことや、告白に近いものであった。イメージを物語るこの新たなアプローチは間違いなく繊細で苦痛を伴ったものであるが、むしろよりアンティミズムで郷愁的である。
やまだ紫は短編「ああせけんさま」を1971年「ガロ」に初めて発表した。この時点ですでに彼女の叙述的語りと芸術性のオリジナリティーははっきりと現れていた。やまだ紫の物語りは読者に存在の「ストイック」さを読み取らせる、とつげ義春は言ったが、これは彼女の語る家族や愛しい者たちとの関係を描いた女性群像によるものである。それもすべては彼女の超自然なスタイル、ほとんど素描のようなスタイルを通して語られ、色彩のコントラストは白黒か、もしくは塗りつぶされているか空欄かである。登場人物の女性たちは常に恐怖や不安を現しており、彼女たちは自然とのコンタクトに没頭したり、不確かな将来の感情を自問したり、時には猫に魅惑されたりする。やまだ紫は他に類をみないほどの深みをもつ作家である。Frederik L. SchodtはDreamland Japan,で「彼女の作品は漫画というジャンルを超越して詩と女性文学の性質を帯びている。」と断言している。1991年から1992年の間に「婦人公論」で発表された「Blue Sky」は詩と物語とデザインの力強さを統合させた最高の作品だろう。離婚したある女性を描くことによってやまだはその魂を深く探り、怖れと不安、そして同時に女として、母としての希望をも明らかにしているのである。
杉浦日向子は一方で「ガロ」でのデビューは1980年で、尋常ではない叙述スタイルと力強くエレガントな描写力で当初から頭角を現していた。画風は風景のみならず人物の描き方までもが目や体の豊かな曲線を伴う浮世絵を彷彿とさせるものであった。「二つ枕」(1981)では江戸の都市風景を再現し、吉原の街へと読者をいざなう。愛人たちの寝屋、約束と嘆息のはざま、花魁の美しい着物が奏でる衣擦れの音、長細いキセルから立ち上るタバコの煙。彼女の場合もそうだが作家の肩書としては「漫画」という言葉では簡略化されすぎてしまっているようだ。彼女の作品は美意識を放ながら古典芸術と文学へ近づかせてくれる。「百日紅」(1983-1987)や他のすべての作品で、図らずも江戸の風習や装束への関心を仕掛けることになった(江戸ブーム)のである。
近藤ようこのアーティストの道もガロで生まれた。パートナーと別れたある女性の長い独白という内容の作品「ものろおぐ」がガロ1979年5月号に初めて実際に掲載された。女性の魂を探ることを可能とし、自ら進んで頻繁に女性をストーリーの中心に据えることができる数少ない、輝かしい作家である。画面では意味ありげな、メランコリーな、動揺を隠せない、というような表情のクローズアップが白や黒だけの広い背景に頻繁に描かれる。近藤ようこは離婚真っ只中の女性、家族、妊娠、死、過去の記憶と恨みなどの日常生活を物語ることを得意としている。人生の深い洞察と感情、そして貴重な人間性を盛り込んだ彼女の物語りをして、いわば「人間の魂の女性詩人」と言わしめるのではないか。作家火坂雅志(1956-2015)によっても強調されたように。
「近藤ようこの作品の基本的なテーマは、男と女の心の機微である。男女の関係を描くというと、えてしてドロドロした重いものになりやすいが、近藤氏はそれをいつも軽くソフトに仕上げている。軽く描いているぶんだけ、かえって、向こうに見える翳りが深くなるのである。ちょうど、障子に映った竹の葉の揺らめきのように」
今日でも近藤ようこはガロの作家として記憶されている。彼女の広範にわたる制作のなかで、実際はガロに掲載された作品は他雑誌に比べて数少ないので、これは良い印象であると言える。事実近藤ようこの初期のキャリアでは「劇画アリス」、「漫画ダイナミック」、「漫画エロス」、「劇画スペシャル」、「COMICばく」などの他の雑誌との共同作業がより多く、後に「ビックコミック」、「ASUKA」、「週刊漫画アクション」などのより有名な雑誌に発表するようになった。「ルームメイツ」(1991)、「アカシアの道」(1995)、「兄帰る」(2005)などのタイトルはもはや日本ではカルトとなり、何度も版を重ねて他のメディアでも取り上げられており、「兄帰る」はドラマ化もされている。エレガントで洗礼されたアーティストとしての印象が際立つ道のりの中で近藤ようこは読者に確かな好奇心をいだかせる作品をたくさん提供した。いくつかある作品のなかでも坂口安吾(「桜の森の満開の下」「戦争と一人の女」)から夏目漱石(「夢十夜」)、田中貢太郎(「蟇の血」)までの日本古典文学の漫画化がある。そして二つのうち一作品だけでも彼女の作家としての才能を十分に示しうる「宝の嫁」と「美しの首」。「宝の嫁」では山の神や予知夢、秘境の村や言葉を話す動物などの日本古来の有名な「おとぎ話」の雰囲気から着想を得てオリジナルの8つの物語を描いた。「美しの首」では日本古典文学の現代語訳から紫式部の「源氏物語」の玉鬘、そして森鴎外(1862-1922)「山椒大夫」の兄弟を主人公にした物語を描いた。
新世代そして展開するガロのポップ
「メディアミックス」(アニメーション、映画、テレビドラマなど)の新たな仕組みと新たなアーティストの発掘や作品のプロモーションによってメディアの注目も高まり、80年代半ば頃「ガロ」の復活は実現された。特に2人の女性によって描かれた漫画、内田春菊(1959-)「南くんの恋人」(1986)とねこぢる(1967-1998)「ねこぢるうどん」は、「ガロ」の販売部数と知名度の復活に貢献した。「南くん」は「かわいい」、「ねこぢるうどん」は権威をこきおろしながらも絶妙なポップ感というまったく違うスタイルの作品にもかかわらず、短期間で大衆の人気を不動のものにした。
80年代から90年代にかけて「ガロ」は独自のスタイルと個性のある女性作家をたくさん起用した。魅惑的なレアリズムを描く秋山亜由子(1964-)から少年愛の世界を描く鳩山郁子(1968-)やエロティシズムから実験的グラフィックの魚喃 キリコ(1972-)、桜沢エリカ(1963-)、安彦 麻理絵(1969-)やアングラポップの友沢ミミヨ(1966-)まで。数十年続く雑誌に多数の女性アーティスト達がした貢献をこの紙面数で要約するのはほぼ不可能であろう。1994年6月の特別号で「ガロ」はまさにオマージュを捧げる意図で「素敵な女性作家たち」というタイトルで彼女たちに敬意を表した。世界が女性なしでは存在しないというのが真実なら、「ガロ」もまたその「素敵な女性作家たち」なしでは存在しないだろう。
Written by: Paolo La Marca
Translated in Japanese by: Kawato Makiko
Originally published in: "La dote della sposa" by Kondo Yoko, Italian version, 2019, Coconino Press.
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