2000年10月、中村明日美子(1979生まれ)はエロティックなストーリー「コーヒー砂糖いり恋する窓辺」で日本の漫画シーンにデビューする。短いながらもすでに詩や物語や視覚の核心としての耽美、官能、美麗が浸透した作品の片鱗が見受けられる。
彼女の個性は同世代の作家を代表し、数年のあいだに雑誌、出版界では不動の地位を得るようになる。同世代の漫画家 - 例として挙げるべきは、えすとえむ、オノナツメ、志村貴子 - などと共に、中村は単一の文脈やジャンルに傾倒することを選ばず、ひいては特定の読者向けであることに束縛されずに年代や性別を超えて、青年期の若者や男女向けのストーリーを描いた。従来、女性作家の漫画作品を男性誌で読むことはまず不可能だったものが今日では慣習化している。
作品とスタイルの多種多様さが特徴の雑誌 -「月刊IKKI」、「マンガ・エロティクスF」「アックス」「コミックビーム」- は読者や作者の世界を広げた。後に雑誌「モーニング・ツー」(2006-)のスローガンはまさに前述と同様の内容でこの方程式を証明していと言える。つまり“ノーコンセプト、ノーターゲット、ノールール”である。18年もの精力的な執筆活動の間、中村はいくつかの少女漫画(「片恋の日記少女」「鉄道少女漫画」)、青年漫画(「ウツボラ」「呼出し一」「王国物語」)、他にも多くのボーイズラブ(「同級生」「薫の継承」)、さらには百合のジャンルも執筆している(「メジロバナの咲く」)。
漫画が身近にある家庭で育った中村は岡田あーみん(1965-)のギャグ漫画を初めとして巨匠手塚治虫(1928-1989)や石ノ森章太郎(1938-1998)に熱狂した。本人の記憶によると有名な作品や王道とされている代表作ではなく、実験的であったり大人向けの作品、例えば手塚治虫「時計仕掛けのりんご」(1970)や「ザ・クレーター」(1969)、石ノ森章太郎の「縄と石捕物控」(1966)などに魅力を感じたという。少女の頃からあたためていた漫画家になるという願望を高校在学中の美術コースを選択することで具体化した。多くの同士と共感を得ながら作家や作品の好みなども変化した。多田由美(1963-)の刺激的なタッチや吉野朔美(1959-2016)の繊細さ、ひさうちみちお(1951-)のエロティシズム、冷酷さやデカダンスに魅了される。
中村明日美子のアーティストとしての過程はマイナー系雑誌「月刊マンガエフ」で“美しい絵柄で官能的なストーリーを描く作家”として出発する。前述の処女作「コーヒー砂糖いり恋する窓辺」では第3回エロティクス漫画賞で佳作を受賞し、今日に至るその後の不変で輝かしいキャリアをスタートさせた。最小限で角の際立つタッチは- 特に表情において特徴的であるが- ひさうちみちおのスタイルであり、「コーヒー砂糖いり恋する窓辺」では、細部に忠実な画面構成や洗練された品格の妙味を明らかにしつつ、エロティシズムと倒錯という、中村作品におけるいくつかの基盤となるテーマを導き出している。
初期の作品はよりエロティシズムが欲望の表現となるような、性的局面につながりがあるテーマに直面しており、食べ物が性の隠喩として語られる(「海のパイパイ」「鶏肉倶楽部」)。
漫画家としてのキャリアが堅固になったのは、幸いにも彼女の作品が掲載されることとなった「マンガ・エロティクスF」においてであった。いくつかの短編はさることながら、中村はこの雑誌のために自らの全作品をより魅力的で確固たるシリーズとして現実化させる。「コペルニクスの呼吸」(2001)、「Jの総て」(2003)、「ばら色の頬のころ」(2005)、「ウツボラ」(2008)。
70年代のパリを背景に「コペルニクスの呼吸」は早い展開と壮大なタッチで寓喩と象徴に富んだ漫画となった。悲しきピエロの物語を通して中村は、過去のトラウマや魂の傷口、深い孤独に光をあてながら主人公の魂の深層を掘り下げることを試みた。この作品ではそれがより透徹な手法で明確になった。暴力(精神的にも肉体的にも)や性という彼女の作品における重要な要素は高圧的な形態(売春)や禁止(近親相姦)というかたちで表現された。
70年代のパリを背景に「コペルニクスの呼吸」は早い展開と壮大なタッチで寓喩と象徴に富んだ漫画となった。悲しきピエロの物語を通して中村は、過去のトラウマや魂の傷口、深い孤独に光をあてながら主人公の魂の深層を掘り下げることを試みた。この作品ではそれがより透徹な手法で明確になった。暴力(精神的にも肉体的にも)や性という彼女の作品における重要な要素は高圧的な形態(売春)や禁止(近親相姦)というかたちで表現された。
のちに続く作品「Jの総て」でも、トランスジェンダーの友人が直面する困難さから着想を得ながら、間違った身体に捕らえられてしまったある少年の内面における対立とジレンマにスポットライトを当てた。中村は- 50年代から80年代のアメリカを舞台とした - 主人公Jが敬愛するマリリン・モンローに、生きながら生まれ変わるというあらすじの長編を執筆する。性や暴力の獣性さを放棄しないまま描かれた、より柔らかで官能的なタッチは中村のキャリアにおける新たな局面を開花させ、新たな個性を示した。
スピンオフの「ばら色の頬の頃」を含め、この作品の出版によって彼女の作品が一気に他の出版社においても引く手あまたとなったことは偶然のことではない。
少年愛(文字どおり“少年同士の愛“)の世界や美少年の美学を最高潮に持ち上げたのもこの2作品であり、テーマや背景として萩尾望都(1949-)「トーマの心臓」(1974)、竹宮恵子(1950-)「風と木の歌」(1976-84)の少女漫画が思い出される。
この前提条件をもとに、雑誌「OPERA」が中村にボーイズラブ作品を依頼する。ここから中村の、のちに大成功と名声を博すこととなり、例えるなら影の世界から光の世界へと船渡りすることとなる芸術家としてのキャリアのさらなる新局面が現れる。テーマの選択ということのみならず新たな画風の試みであった。つまり白と黒の色彩のコントラストから明るい背景を多用し光に満ちた、より純然たる作品に仕上げたのである。
「同級生」(2006)は中村の初BL誌掲載作品であり、本人がBLを意識して描いた初めての作品である。「同級生」は2人の少年が出逢い、愛し合い、人生を共にすることを夢見るという典型的なボーイズラブの構成である。例にもれず本の表紙には以下の表現が書かれている。「A
boy meet a boy They were in flush of youth. They were in love that felt like a
dream, like a sparkling soda pop」。
作画も何らかのヴァリエーションはありながらも、いくつかのステレオタイプを踏襲している。中村は実際、メガネ男子に魅力を感じると言い、時にしばしば作品の主人公たちとして登場させている。(「おはよう楽園くん」2009)
もはやBL読者の間では誰もが知る存在となった中村は最高の実力を表現できると感じ、コメディー(「あなたのためならどこまでも」2007)、スリラー(「ダブルミンツ」2007)、果ては初期の作品を彷彿とさせるような倒錯の背景の中、明快な性を描いた「薫りの継承」(2009)を発表する。
近年は実験的作品が続いている。中村はいくつかの現代漫画のクラッシック作品(「寄生獣」1988)のトリビュートアンソロジーに参加し執筆(「物ッ怪屋」2015)。ストリートファッション誌に、監督であり脚本家の幾原邦彦(1964-)、原作の「ノケモノと花嫁」(2006)を発表。さらに中村の日本文学への傾倒は大変興味深く、台湾で出版された江戸川乱歩(1894-1965)の作品のカバーイラストを描く。そして文豪谷崎潤一郎(1886-1965)のトリビュートアンソロジーにて著名な作品「続 羅洞先生」(1928)をもじった「続続羅洞先生」を短編漫画として発表。
《多才》という言葉はこの作家の成功を理解するキーワードであろう。幾原邦彦が示唆するこの言葉のように。
「一つのジャンルで成功の味をしってしまうと、大抵の作家さんは、そこから出ようとしないですよね。そこからはみだそうとしない、いわゆるジャンル作家になってしまう。そうすると描く作品世界が小さくなっていて、後はおとくいさんの読者を相手にするだけになっちゃう。でも、彼女はそうじゃない。次々にいろんな面を見せてくれるんですよね。」
Written by: Paolo La Marca
Translated in Japanese by: Kawato Makiko
Originally published in: "Utsubora" (vol.2), Italian version, 2018, Coconino Press.
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